薬師院さんの写真です。
医徳山薬師院。通称はこぬか薬師。
かつて美濃国にあったころ、住職の枕元に薬師如来が現れ「いっさいの病苦を取り除いてあげよう。来ぬか、来ぬか。」とお告げがあったというお話が人々に広まり、こぬか薬師と呼ばれるようになったそうです。
織田信長により京都へ移りました。
お堂がひとつ。右の屋根はビルにギリギリ。裏は駐車場です。
京都の観光地や神社・寺院・世界遺産・史跡・風景をフリー写真素材としてお使いいただけます。京都の紹介にどんどんお役立てください。
薬師院さんの写真です。
医徳山薬師院。通称はこぬか薬師。
かつて美濃国にあったころ、住職の枕元に薬師如来が現れ「いっさいの病苦を取り除いてあげよう。来ぬか、来ぬか。」とお告げがあったというお話が人々に広まり、こぬか薬師と呼ばれるようになったそうです。
織田信長により京都へ移りました。
お堂がひとつ。右の屋根はビルにギリギリ。裏は駐車場です。
二条通に南面して建つ薬祖神祠さんの写真です。
縦の通りは両替町通が近いです。
二条薬業会館と山村寿芳堂のお隣り。
このあたりは薬問屋や薬屋が立ち並んでいた場所で、薬に纏わる神様が祀られました。
中国の「神農」とギリシャ「ヒポクラテス」、そして、大巳貴命・小彦名命をお祀りしています。
通称名は「二条の神農さん」。
京都御苑の南に建つ京都ハリストス正教会の教会堂、生神女福音大聖堂の写真です。
柳馬場通を歩いていると、急にこの尖った美しい塔が現れます。
松室重光の設計により1903年にできました。
松室さんといえば、京都府旧庁舎を設計したかたです。
ビザンチン様式の聖堂で、京都市指定文化財となっています。
京都御苑の南側、麸屋町通に面して建つ天台宗のお寺、大福寺さんの写真です。瑠璃光山利生院大福寺。
推古天皇の時代に奈良にて創建され、平安遷都ののちに京都に移りました。
かつては大きなお寺だったそうですが、1788年の天明の大火で消失し、いまはお堂ひとつだけのお寺です。
大福寺という縁起の良い名前から、商家の大福帳の名前の由来となったお寺です。
工事中でしたので、至近距離からの撮影です。
聖徳太子が彫ったとされるご本尊の菩提薬師如来は秘仏です。
屋根には布袋様がにっこり。
壬生寺さんの写真です。
節分会と壬生狂言が有名なお寺です。
991年創建の律宗のお寺。
お盆の万灯供養会。雨脚の強いなか、参拝者がちらほらと。
千体仏塔と本堂。
門の外からも千体仏塔がよく見えます。
節分の壬生寺。大勢の参拝客でごったがえします。壬生狂言がくりかえし上演されます。
真冬ですが、たくさんの屋台も出てにぎやかです。
壬生寺は新選組ゆかりの地としても知られています。新選組の隊士たちが訓練を行った場所でもあり、実際に隊士たちが壬生狂言を見て楽しんだことも記録にあるそうです。
壬生寺の向かいに建つ新徳寺さんの写真です。
のちに新選組となる浪士組が京都に入ってすぐ集合したお寺で、本堂では清河八郎が彼らに向かって演説を行いました。
通常は拝観できません。
御所の南側、寺町通り沿いに建つ行願寺さんの写真です。
お参りする人の多い町なかのお寺です。
創建は1004年と古いですが、町なかのお寺の宿命で、何度も火災に遭い移転をくり返しています。
現在地には1708年頃に建ちました。
木漏れ日を浴びる石仏。
藤袴といえば革堂さん。
境内ぜんぶ藤袴というくらいたくさんの鉢が置かれています。
10月です。
絶滅寸前といわれた花ですが、多くのかたの努力により最近はあちこちで見かけるようになりました。
花に誘われて、アオスジアゲハがひらひら。
アサギマダラも来ています。
ネコが何匹かいます。
蓮の花咲く7月の境内。
ガラスに映る白とピンク。
空は快晴。
蜘蛛の糸も輝く。
都市の真っただ中に建つ六角堂さんは、587年に聖徳太子が建てたというたいへんな古刹です。天台宗のお寺。
頂法寺という名前ですが、六角堂と言ったほうが通じます。
町なかだけに何度も焼失しては再建を繰り返してきました。
いけばな発祥の地でもあり、家元道場や花心苑と隣接しています。
山門の千社札が渋い!
地面に擦る柳の枝は、おみくじを結ばれても傷まない強い柳。その名も「縁むすびの柳」
へそ石。ここが京都の中心ポイント。
桜の美しい境内。
御幸桜(みゆきざくら)と呼ばれる桜です。
新京極の誓願寺さんの写真です。
繁華街にあるからといって近年にできたお寺ではありません。移転や焼失はあるものの667年創建の古刹です。
いつでも顔出しパネルが置かれています。外国のかたがよく顔を出して楽しそうに写真を撮っています。
山門左手の石碑は迷子みちしるべ(奇縁氷人石)。昔の伝言板です。
左側が「さがす方」、右側が「教しゆる方」。メモを貼って迷子や落とし物を探したり教えたりしていました。(京都検定に出ます)
錦天満宮の鳥居は両側のビルに刺さっていて、よく話題になります。
小さな境内ですが、お参りするひとはたくさん。
雨の日。薄暗く提灯に火が入っています。
錦天満宮の前から西へずっと続く錦小路通のアーケード商店街、錦市場。京都錦市場商店街。
400年をこえる歴史を持つ京の台所です。
狭い道なので、大混雑する時期も多いです。
写真素材として使えるように、人だけぼかす工夫をしてみました。
錦市場、平日でもなかなか進まないくらい大勢のお客さんで賑わっています。外国の人がとても多い。
夏の錦市場。
祇園祭の提灯が吊られています。
御所の南側にある下御霊神社さんの写真です。
鳥居は西向き。笑う狛犬の表情がとても良いです。写ってませんが。
10月。たくさんの藤袴が咲いていました。
11月。境内の大きなカエデは塀の外にあふれだしています。ボロボロの塀が風流です。
本能寺の変(ほんのうじのへん)は1582年に京都で起きたクーデター。
明智光秀が謀反を起こして、本能寺に泊まっていた主君である織田信長を自殺させた事件。
明智光秀の「敵は本能寺にあり」のセリフが有名ですね。
比叡山や大文字も見えます。
この東南隅櫓は天明の大火で焼けなかった古いもの。重要文化財。
外側を歩いてみます。南側の堀。
西側の堀。水草がびっしりで水面が見えません。
石垣はいろいろな時代のものがあるようで、おもしろいです。
北側のこのあたりは膨らんでみえるように錯覚してしまいます。
南側の歩道から。
静まり返っている池に映る赤い橋、法成橋。
善女竜王社は金色に光る。
垣根はサザンカで、たくさんの花が咲いていますが、雪の下で目立ちません。
法成就池のまわりをぐるりとツツジが彩ります。
ただし、池の周りをずっと歩けるわけではないので、遠目に見るだけのところもあります。
4月。桜咲く神泉苑の池。
二条城の南側にある神泉苑は東寺真言宗のお寺。
二条城の南といっても、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑で、二条城自体が昔は神泉苑の敷地でした。
桓武天皇を始めとして歴代の天皇が行幸しています。
西寺の守敏と東寺の空海が雨乞いバトルをしたのもここ。
源義経と静御前が電撃の出会いを果たしたのもこの神泉苑であります。
863年に神泉苑で行われた御霊会が祇園祭の起源とされています。
ご本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。
境内の法成就池のほとりの歳徳神は可動式で、毎年年の暮れに恵方にロックオンされます。
境内には料亭「祇園神泉苑平八」があります。
祇園祭宵山の写真です。
日暮れの後。だんだんと空は濃い色に。高〜い位置に月のシルエット。
日程が土日祝日となったので、たいへんな人出になりました。
その代わりに17日の山鉾巡行は昨年より人出は減り、16万人と発表されました。2012年の写真です。
ホテルオークスは現在はスマイルホテルに変わっています。
放下鉾。
いちばん手前は傘鉾のちょうちん。
月鉾。
月鉾。
月鉾。
ちまきは一年間の無病息災を願い、軒に吊るします。
宵山の昼間。
鶏鉾と家族。
逆光の長刀鉾。
長刀鉾。
月鉾。
月鉾。
月鉾。
南観音山。
北観音山。
大船鉾。
大船鉾。
白楽天山。
月鉾の先と彩雲。